みなさん、おこんばんは。
終戦記念日です。
終戦から75年。
未来に残す 戦争の記憶 というページを見つけました。
1945年7月28日にあった空襲で、真清田神社が燃えました。
旧競輪場(今、取り壊し最中)の辺りに軍需工場があったために、
狙われたんだと、父から聞いたことがあります。
90歳以上のお年寄りに、市街地の火災は凄まじかったと
聞いています。
アタクシが幼かった頃、腕や足を失った軍服姿の人が、
初詣や七夕祭りなどの賑わう人の波の片隅で、物乞い(という言い方は
差別ですが、どういう言葉が適当なのか分からない)をしているというのが
唯一、【戦争】を感じる体験でした。
可哀想とかではなく、なんとなく怖いイメージでしたね。
皆それぞれ、いろんな苦労を強いられた時代。
今年のコロナ騒動で、自粛警察とかの風潮が戦時中に似ているとか・・・
そこは一緒にしちゃダメじゃないか?と、TVに向かって文句をたれた(笑
コロナでも、平和に感謝。
ここのところ姿を見なかった外猫が、朝はやく来ていた。
すぐにレトルトを1袋与えた。
食後、2時間ほど寝ていましたよ。
グリーンカーテンで人目も塞げて、朝は気持ちよかったのかな。
猫だって暑いはず。がんばって乗り切ってほしい。
終戦記念日です。
終戦から75年。
未来に残す 戦争の記憶 というページを見つけました。
1945年7月28日にあった空襲で、真清田神社が燃えました。
旧競輪場(今、取り壊し最中)の辺りに軍需工場があったために、
狙われたんだと、父から聞いたことがあります。
90歳以上のお年寄りに、市街地の火災は凄まじかったと
聞いています。
アタクシが幼かった頃、腕や足を失った軍服姿の人が、
初詣や七夕祭りなどの賑わう人の波の片隅で、物乞い(という言い方は
差別ですが、どういう言葉が適当なのか分からない)をしているというのが
唯一、【戦争】を感じる体験でした。
可哀想とかではなく、なんとなく怖いイメージでしたね。
皆それぞれ、いろんな苦労を強いられた時代。
今年のコロナ騒動で、自粛警察とかの風潮が戦時中に似ているとか・・・
そこは一緒にしちゃダメじゃないか?と、TVに向かって文句をたれた(笑
コロナでも、平和に感謝。
ここのところ姿を見なかった外猫が、朝はやく来ていた。
すぐにレトルトを1袋与えた。
食後、2時間ほど寝ていましたよ。
グリーンカーテンで人目も塞げて、朝は気持ちよかったのかな。
猫だって暑いはず。がんばって乗り切ってほしい。
コメント
コメント一覧 (10)
日本全国で受けた空襲の被害、凄まじいですね。
亡くなった個々の人々が忘れられていくのを考えると切ないです。
当時の日本は他の国でも同じようなことをした、、 戦争はイヤ、絶対反対です。
私は戦後生まれですが、小学生低学年頃までは祭りや催し時には
白衣を着た「傷痍軍人」が募金箱を前にいるのを見ました。
片足が無く松葉杖で立っていたり、片腕が無い人とかが。
親に聞いたら戦争が原因でない人もいると。いずれにしても生活には困っていたとは思うけど、、
ウリに似ている外ネコ、エサが貰えてゆっくりできるからはるさんちに来るのかも。
はる
がしました
今、その悲しみを深く受け止めています、戦争はダメです‼️
はる
がしました
真っ赤な記憶にあるのですが、人はそれは多分「刷り込み」だと言います。
昨日、アニメ映画「この世界の片隅に」を見ました。
海軍工廠軍港があった呉が舞台、連日の空襲、
すずさんは片手を失ったが生き延びた。
今 経験や記憶のある人は数少なくなっていき、
戦争の歴史が忘れられていきますね。
はる
がしました
読んでいるだけで絶望感につつまれてくるようです。
戦争という異常な事態が、人々の心まで麻痺させてしまったこと。
生きるためには食べるためには、何でもやったという悲惨な状況。
戦後の混乱期には、信じられないようなことがたくさんあったのだろうな。
目を背けずに、ちゃんと向き合って2度と戦争を起こさないようにすることが
私たちの使命なのではないかと思われます。
お祭りのときに、やはり手足を失った人が物乞いをしていました。
怖かったのを覚えています。
でも国から高額の給付金が出ているのだから、募金はしなくていいと言われたものです。
はる
がしました
しかも、7月なんて暑い時に。今七夕で賑わう時にそういう事があったんだね。
真清田神社も燃えちゃったんだ。知らんかった。
傷痍軍人っていたね。
アコーディオン弾いてた。万年筆とか売ってる人もいたね。こわかった。
はる
がしました